今日も、身延ロータス倶楽部の育てている蓮たちの様子を伺いに
身延山内の本行坊さんまで行って来ました。
昨日に引き続き夕方の出勤で、調査活動としては都合がいいですよ
蚊もまだ、出ていないし。
新芽も続々と出てきて、それとともに
分からな事もいろいろ出てきて早く専門家に聞きたいです。
明日、聞くことになっていますが身延ロータスくらぶのメンバー以外でも
コメントして下されば代表で伺っておきます。
遠慮なさらずドシドシとコメントをくださいませ^^
夕方のせいでもありますが、身延山の五重塔が霧に霞んで幻想的でした。
左上に五重塔がうっすらと・・・ 身延山の霧もなかなか・・・^^
身延山で育てている蓮たちの横でヒッソリと咲いている赤詰草。
アップにするとカワイイでしょ^^
今日は、身延町総合文化会館に於いて
山梨県考古学協会・身延町教育委員会主催の地域大会の
発表会に行ってまいりました。
1・「身延町の遺跡」 身延町教育委員会 坂口広太
2・「南部氏から穴山氏へ-身延の中世-」 山梨県立博物館 海老沼真治
3・「身延山の歴史と伽藍」 身延山大学 望月真澄
4・「湯之奥3金山遺跡の概要と課題」 甲斐黄金村・湯之奥金山博物館
谷口一夫
という、内容の発表会だったのですが。
私としましては、身延ロータス倶楽部代表もさることながら
「身澄会」の代表として真澄先生のお話を聴きに行ったのですが・・・
なんと、聴講の少ないこと・・・
情けない、勉強しましょう!!
「身延蓮倶楽部」のメンバーは私が代表として行ったけど・・・
誰も知っている人がいない。
身延山関係者を除いては・・・
内容は、面白かったですよ!!(また好奇心が^^)
真澄先生のお話は先生の本に書いてあることなので
ある程度は分かっていることですが。
「南部氏から穴山氏へ」はとても興味深かった。
南部氏といえば・・・
日蓮聖人を招聘 した波木井実長公は誰もが知っていることですが
穴山 信君 / 梅雪は、戦国時代の武将 甲斐国武田氏の家臣で、
御一門衆のひとりで下山あたりの人(領主)くらいの知識で・・・
しかし、以前から疑問だった
秋山太郎、小笠原次郎、南部三郎、加賀美曽四郎は
みんな加賀美遠光の息子だったということ!!
ここでは詳しく書きませんが(みなさんは面白く無いと思うので^^)
とにかく、ほんを8冊も買ってしまったので(しまった!!まだ読んでない本が・・・)
読みますから、ご興味を持たれた方は一週間くらいしたらご質問をどうぞ^^
楽しいね~^^南部氏と穴山氏は今川と織田に分かれたとか
南部氏は日蓮宗(当時は法華宗?)穴山氏は臨済宗とか
疑問だったものがちょっとわかってスッキリ!!
でも、みのぶにとってはやはり南部氏が領主ですよね~^^
穴山氏も身延になにか残してくれたんでしょうか?(下山大工?)
調べてみます。
最後に、真澄先生に海老沼さんを紹介してもらって
今度いろいろ教えてもらうことになりました。
どうぞ、みなさん一緒に教わりに行きましょう。
海老沼さんは、とっても好青年で終わった後にうちまでお買い物に
来てくれました^^
やっぱり、聞いたり調べたりしないといけませんね~。
無責任に分かりもしないで発言するのは避けたいですもの^^
では、明日はもっと固く政治の話など・・・
株の話がいいかな・・・
それとも、経済のことかな~
子育てなんかいいかもね~(ダメでしたろくな子供に育ってないよ~)
明日は、世界遺産の事について考えましょう (⌒~⌒)ニンマリ
「身延蓮倶楽部」 By『お』
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